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2017年 2月 4日 僕の考える受験の意義★原編★
こんにちは!
法政大学1年の原です。
といってももう1年次の全てのテストが終わり、もう春休みなのですが。。。
さて本日のテーマは「僕考える受験の意義」です。
ラストスパート中の受験生も、スタートダッシュしなくてはならない君も
ぜひ、この時間を気休めに使ってください。
かなり難しいテーマですね。
まず、大学受験はしても、しなくても良いということ。
そして、大学受験、大学に入ってからもお金はかかる。
別にしなくては良い大学受験をわざわざお金をかけてするということは、何かしらのメリットがあるということですよね。
また、大学受験をするにしても、およそ半数の大学は定員割れを起こしているので、お金さえ払えば入学できる状態です。
しかし、東進生はお金をはらって、いわゆる難関大学、有名大学といったところを目指すわけです。
難関大学といったところに行けば、良い会社に入れるし、もちろん良い会社に入ればお金がたくさんもらえる。
じゃあ、お金をたくさんもらうために今、大学受験に向かって頑張っているのですか?
お金がたくさんあれば幸せなのでしょうか?
大学で幸福度について授業内で扱ったのでちょっとだけ。
もちろん経済的な豊かさは幸福度を測る一つの要素ではあります。
しかし、幸福度を測る要素は他にもたくさんあります。
家族関係(つまり親との関係や結婚など)が良好であるかや、個人の自由や、健康など様々な要素がありますね。
なので、お金だけたくさんあっても一概に幸せとはいえないのです。
逆に大学にも行ってないけど、幸せな人を僕は何人もしているし、良い大学に行っても自殺をするほど追い込まれている人だっているわけです。
それなのに、お金を稼ぐために大学受験をするのですか?
そして、これは僕自身の考えですが
大学受験のためにした勉強はほとんど社会に出てから使うことはありません。
研究者や専門的な職業に就く人は別ですが。
英語や国語、数学などは使うことはありますが、日本史、世界史、古文、漢文などの科目はほぼ、使うことはありません。
では、なぜこれらの科目を、高校で勉強し、大学入試でもでるのでしょう?
不思議ですよね。
将来まったく使えないことを勉強するんですから。
でも僕は、日本史などの暗記科目は
どう覚えたら一番速く覚えられるかなどの効率性などを主に鍛える科目だと思っています。
日本で過去に起きた物事を受験までという限られた時間の中で覚え切らなくてはいけないわけですから、もちろんいやでも効率を上げる方法を模索するしかないのです。
そして効率性は社会に入ってからとても試される力です。
例えば 100ある仕事を
5時間で終わらせる人と、10時間で終わらせる人、
どちらの人を企業が選ぶかは歴然ですよね。
そして、他の科目にもいろいろと社会に出てから使える力が養われるから。
まとめると、大学受験でつかう科目は将来約に立つちからが養われる。
これが僕の考える大学受験をする意義①です。
そして②は企業が「賢さ×努力量」のたかい人間を欲しがるからですかね。
企業は業績を上げたいので優秀で努力の出来る人間が欲しいわけです。
そして、難関大学と呼ばれる大学に入るためには優秀で努力ができなくては入れないのです。
しかし、これはあくまでも「賢さ」と「努力量」の積だと僕は考えているので、あまり自分が賢くないと思っている人は、しっかりと努力量を確保すれば誰でも難関大学と呼ばれる大学に入ることができます。
反対に、「賢い人」いわゆる天才型はあまり努力をしなくても良いのですが。(そんなひとは100万人に1人くらいです)
なので難関大学に入るような人はだいたい努力の出来る人間なわけです。
逆に大学受験で努力をしなかった人の、会社に入ってからは努力します、ほど企業にとって信用ない言葉はないわけです。
これが大学受験を頑張る意義②です。まとめると良い企業に入れるということですね。
先ほど言ったとおりお金があっても幸せなわけではありませんが。
そして3つ目。(最後です)これが1番重要重要だと思います。
それは
「人間的成長」
受験をする意義の90%くらいはこれだと思っています。
たいして努力もしていないのに、推薦で進路が決まった人よりも
必死に努力して、それでも成績が伸びなくて、悔しくて、どうしたらいいか必死に考えて、それでも成績が伸びなくて悔しくて、でもその努力が結果に出たときはめちゃめちゃ嬉しい。そういった中で、たくさんの人に支えられ、応援され、感謝の気持ちを学んだり、人の為に頑張ることを覚えたり、辛い時に支えあえるような一生の友ができたり、などなど、そういったことが自分にとっての財産になるのだと思います。
これが1番受験をする大きな意義だと思います。
自分の望む進路ではなくてもこの大学受験という経験は決して無駄ではありません。
長くなりましたがここで終わりです。
受験生は最後の最後まで本気で受験と向き合うこと。
低学年は意味のある受験にするために1秒でも速く本気で向き合うこと。
原